汗疱を克服した話。最終回
汗疱を克服した話。最終回
このようにして、2012年の終わりから2014年の終わりに頃までの2年間にわたる汗疱との闘いは終わったわけです。
現在でも脱塩素は続けているわけですから、塩素除去を辞めたらおそらくまた再発すると思います。
決して完治したわけではないのです。
しかしながら私は、汗疱という病気が悪いわけではないと考えてます。
これは本来、体の中に入ってきてはいけない、触れてはいけないけないものと大量に接していたせいで、体から発せられた正常な警告メッセージだったんだと思っています。
体はただ正直に反応しただけです。要は健康なんだと考えるようにしました。
ただ、本来原始的な生活をしていれば触れることのない物質によってアレルギー反応が引き起こされ、それによって苦しめられるというのは如何ともしがたい事でした。
物心ついたときに自分たちの生活のなかに組み込まれ、安全だとか衛生的だと刷り込まれていると、そのもの自体を疑うことすらありません。水道の蛇口で手を冷やしていた時のように、、
しかしながら、日本の水道水をそのまま使っても何の症状も出ない人の方がほとんどなんだと思います。この汗疱に悩まされる人、アトピーに苦しむ人は本当に少数派なんだと思います。
しかしながらこの当たり前に供給されているこのインフラによって、数パーセントの人たちはアトピーや汗疱、ひょっとしたらさらに別の病気を患う事になっている人がいないとは言い切れません。
水道局には塩素に変わる何か別の方法を考えて貰いたいと願っています。
この汗疱の症状を抱えていた時は本当に辛かったです。誰も助けてくれないし、その辛さを本当の意味で理解してもらうのは非常に難しいと思います。
この件で教訓となったのは、自分の身体に関する事は自分で体感、実験、納得しなければならないという事でした。
外出先での身体の変化に注意深くなれた事が、間違った方向に進み続ける事を阻んでくれました。
標準医療を疑うとかそういうことではないんですが、自分の頭でちゃんと考え勉強して、時には当たり前を疑い、しっかり行動を起こさないと、いつどこで型に嵌められたかが分からなくなります。
これで良いと勧められたことも、身体に悪いとされている事も一通り試してみて、自分の身体にどの様な変化が起こるか確認してからその先の事を決めるのが、私にとっての正攻法となりました。
自分はどこからどのように来て、そしてどこに向かってどのように進むのか、これからも今のスタイルを変えずに生きていきたいと考えています。
後悔はしたくないので、方針はブレまくります。しかしそれで良いと思っています。昔は身体に悪いと言われた物も現在では健康に良いとされるものはたくさんあります。
そして、現在の情報社会ではこの類の疾患への対処が脱塩素なのはもう常識となっているかも知れません。
ただ、いまだに原因を特定出来ずに苦しみ彷徨っておられる方々がいるのではと思いこの記事を書きました。
私もネットの情報に大変助けられました。
しかし、その情報も自己責任でしっかりと取捨選択をして自分の事に反映させないと、間違った方向に進み続ける事もあります。
正解は自分の身体で感じるしかありません。
しかしながら、私のこの闘病記が誰かのQOL(生活の質) を上げるのに役に立つのであれば、私がネットから恩恵を受けたように私もその経験をネットに投下したいと思いました。
終わり。
2019年夏 現在
その後、脱塩素の効果によって近年国内の外出先で短期間の滞在であれば、脱塩素はしなくても乗り越えられるようになりました。
10日以上の外出の場合は、シャワーヘッドなど脱塩素アイテムは相変わらずかかせません。しかし海外出張はスイス、ドイツ、イタリアなどヨーロッパがほとんどなので、
脱塩素をせずに海外に長く滞在しても症状は発症しません。
先日1か月イタリアに滞在していましたが、特に汗疱を発症することはありませんでした。その滞在先のイタリア人にアトピーのことを聞いたら、その疾患の存在自体を知らない人が多いのではないかと言っていました。
浄水器のフィルターの交換時期等ですが、実は脱塩素を始めると体が教えてれます。
塩素を除去できなくなる前に交換したいと思われる方も多いでしょうが、実は脱塩素して本格的に生活すると、通常の水道水は臭くて使えないのでフィルターの効果がなくなるとすぐにわかります。
駄文をここまで読んで下さりありがとうございました。
一気呵成に書いたので、ゆくゆくこのシリーズは文章をブラッシュアップさせて保存版にしたいと思います。
終わり
汗疱を克服した話。その5
2014年秋。脱塩素の設備を整える。
日本に戻った私は、水道水から脱塩素するのにどのようなアイテムがあるか調査を始めました。
身の回りで水道水に触れる機会は、台所、お風呂、トイレ、洗面台、などです。
オフィスでもトイレの手洗いなどあります。
まず最も多くの水道水を体に浴びるお風呂から考えました。
まず脱塩素をする場合、要は巷に溢れる活性炭で塩素を中和する必要があります。ようは浄水器ですね。まず大きな問題となったのはシャワーです。
この勢いで出る水をどのようにして塩素除去するのかと頭を抱えました。
しかしそんな心配は無用です。
私の知らないところで既に、脱塩素ができるシャワーヘッドが至る所で販売されていました。
国内出張に持っていってホテルのシャワーヘッドも自前のものに変えて使えるように、互換性がありそうな下記のものを購入しました。
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以来、今もこのシャワーヘッドを使っています。おそらくこれを使うのをやめて、水道水の残留塩素に触れる生活に戻ったら、また汗疱を発症すると思います。
しかし、湯船に入りたい場合はこのシャワーヘッドからお湯を貯めるのではコスパが非常に悪くなりそうです。
さらに調査を進めた結果。(知っている人には簡単な答えかもしれませんが、、)
お風呂に溜めたお湯は一晩放って置いても塩素濃度は変わらないとのことで途方に暮れていましたが、なんとアルゴルビン酸、要は粉末のビタミンCですね。これが水の塩素を中和するという事を突き止めました。
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なんか聖杯でも見つけたような勢いですが、ふつうに市販の温泉材は塩素中和の効力があるようです。
その中でもお気に入りなのが、バスクリンの「きき湯」です。これはホームページでも塩素除去に関して、薬剤投入から何分後に塩素が完全に中和されるかをしっかり掲載していたと記憶しています。
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これでお風呂は完璧になりました。
台所にも塩素除去、さらにトリハロメタンも除去できる高性能な浄水器を取り付けました。
無論、全てにおいてちゃんと塩素が除去できているか確認するために試験紙での検証は欠かせませんでした。
あとは洗面所です。これが結構問題となりました。毎朝顔を洗いますし、歯磨きもします。しばらくはお風呂場のシャワーヘッドを使って洗面、歯磨きをしていました。
この時期から凄い勢いで、症状が改善されてみるみる回復していきました。マイナスからの復活なのに、なにかで大成功したような達成感にも満たされていました。
最後はシンク下用の浄水タンクの設置。
脱塩素を始めた事で汗疱の症状は劇的に改善していきました。最後残された洗面所は、三菱レーヨンのタンク型の浄水器をお湯の配管の間に挟む事で最終的な設備としました。
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接続用のホースやファスナーも必要です。
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洗面所の蛇口は、レバー式の混合水栓でした。
こんなやつですね。
これはお湯と水を混合して任意の温度でお湯を出せるのですが、アンダーシンクではお湯と水の2つのつなぎ口があり、この混合水栓で一本化されています。
これのどちらに浄水器を接続するか悩みました。
水の系統に繋ぐことを最初に考えましたが、冬にお湯を使いたいときに困りそうです。
かといってお湯、水の両方につけてしまうと、塩素の恩恵(殺菌、雑菌繁殖の抑制)が受けられなさそうです。
結果的に、蛇口のすぐ手前、給湯器から配管されているお湯の系統の間にタンク式の浄水器をかませました。
こんな感じ。コンパクトなサイズながら、採水量は抜群です。
遊離残留塩素は除去率80%で40000リットルも使えます。近年有害なのが取り沙汰されているトリハロメタンも8000リットル分このボトル一本で除去してくれます。
私の家族は嫁さんと愛犬サニーですから、遠慮なく浄水を使用しても軽く一年以上は持ちます。これで家族も塩素の影響から守れます。
浄水器を通った冷水を使いたければ、給湯器の電源を切れば、混合水栓のお湯を出しても冷たい浄水が出ることとなります。
塩素入りの水が使いたい場合は、水栓のレバーを冷水側に全開にすれば良いのです。
これで自宅の水処理は完璧となりました。
これだけで汗疱の症状は劇的に改善され、日焼け後に悩まされた汗疹、アトピーの症状など、全てが劇的に改善されていきました。
外出先での脱塩素。
塩素除去の設備を勝手に出来ないオフィス、外出先は、特にトイレ後の手洗など水道水は使わずに、ウエットティッシュを使いました。
国内出張ではシャワーヘッドのみ持参して、ホテルのものと交換していました。紹介したシャワーヘッドはネジ山の径の違いに対応できるようにアタッチメントがいくつか付いていますので、これを利用してシャワーヘッドを取り付けて外出先のホテルでは塩素入りの水に触れないように気をつけていました。
シャワーヘッドが使えないホテルでは、湯船に水を張ってその中にアスコルビン酸を投入して塩素除去し、手洗い、洗面に使います。
そんな生活をし始めて、半年ほどで汗疱の水泡は私の手の中から完璧に姿を消したのでした。
最終回に続く。
汗疱を克服した話。その4
2014年春。確信の裏付けを調査。
タイから戻ったあと、シンガポールに出張するまで1ヶ月あります。この間は自分の確信が間違っていないかどうかを調査するのに躍起になっていました。
肝心の汗疱の症状はというと、、
日本に戻るなり再発していました。
まだ辛い事には変わりませんでしたが、トンネルの先に見える微かな明かりが少しづつ明るくなっていることは明白でした。
幼少期に小児喘息とアトピーを患っていました。皮膚を強くしようと寒風摩擦などやらされたものです。
しかし、昔はよく聞いた話ですが、夏休みなどに田舎暮らしをするとアトピーが良くなるというのは身の回りでもよく聞きました。
これには何が影響しているのだろうかと、ネット時代の恩恵を借りてグーグルしまくります。ひと昔なら絶対に解決できなかったと思います。
おおよそ皆さんお察しかと思いますが、、
原因は「水」でした。
生活に使用する水が汗疱の発症に大きく影響しているのではないかという考えに至ったのです。
これは私の症状改善には正解である事が判明したのです。。
2014年夏。原因物質の特定。
ネットでの調査はさらに熱を帯び始めます。
仕事柄、水に関わることがしばしばありましたので、水質について調べ始めました。
地域ごとの水質の違いを分けるものってのはなんなんでしょう?
日本の水道水は水源がどこかによって、硬水、軟水、残留塩素濃度、シリカなど、同じ水道水でも様々なものが入っている上、塩素濃度も季節、地域によって厳密には違っていたのです。
さらに、世界各国における水道水の残留塩素濃度の違いについて考察しているサイトや情報もありました。
そういった情報に触れるまで、横浜生まれ、横浜育ちの私は、水道水に含まれる残留塩素が体に及ぼす影響について考えたこともありませんでした。
もう、カルキ臭いのが当たり前だと、生まれた時から使っている水道水ですから違いに気付くはずがありません。
そこで、水道水の残留塩素濃度の基準について世界各国の情報を集めることにしました。
現在、日本では浄水場から最も遠い蛇口の部分での残留塩素濃度を0.1mg/L以上と定めています。上限が定められていません。
この辺りの問題については、近年さらに色んな情報がネット上に出回っていますので、「水道水、残留塩素、 影響」などのキーワードで調べてみて下さい。驚くほど塩素の問題について書かれた記事が多くなっています。
近年ドイツなどは、飲水の殺菌にオゾン処理をしたり、紫外線照射したり、塩素の使用を禁止していますし、塩素を使用している国でも、残留塩素濃度の上限をしっかりと定めている国が殆どです。
そんな中、日本は浄水場に近い場所は1mg/Lを超え、2mg/Lを超える所もあるとのことでびっくりしました。上限を設定していないっていうのはどうなんでしょうね。
私は考えました。「塩素だよ? カビとかを強力に根絶やししちゃうような酸化力持ってんだよ? 余りにも濃度が高いとどう考えても体に悪いだろ。」
確かに水質が悪い場合、大腸菌だとかの殺菌にはもってこいです。衛生的といえばそうでしょう。しかし何にでも限度ってもんがあります。
調べてみてさらに愕然としたのはタンパク質が塩素によって酸化、結合、するというような文献を見た時です。
これで確信に変わりました。
皮膚や皮にはタンパク質が多く含まれます。
髪の毛などもそうです。
例のキャンプクライミングの時、手洗いはほぼ全て沢の水でした。みんなでお風呂に行った時も沢の水を沸かしたお風呂でした。
風呂上がりに、手がサラッサラだったのを今でも明確に思い出せます。
沢の水だからもちろん塩素なんか入っていません。
出張先だったドイツは水道水が飲料水になる可能性があるので消毒での塩素の使用を禁止しています。
心配して渡欧した海外出張でも、症状は良化の傾向があったのはこの為だと思いました。
全ての点と点が線となっていきました。
「水道水に含まれる残留塩素が原因だったのではないか」と、、
そこで、残留塩素の濃度を検査できるアイテムを購入して、自分の生活に関わる水道水の蛇口という蛇口の塩素濃度を調べまくりました。ネットで調べると様々なものが出てきますが私が使っていたのは下記のものです。
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これは検査した濃度帯に応じて購入すべき種類が変わります。水道水を緩やかに出して約数十秒試験紙を濡らすだけで、試験紙の変色の度合いによって濃度がわかります。
リトマス試験紙と似たようなものだと思っていただければ良いと思います。
これで大阪の自宅、オフィス、横浜の実家。
さらによく滞在する出張先のホテルなど調べ尽くしました。
平均的に1mg/Lほどでした。試験紙は紫色に鮮やかに染まり、しっかり塩素が残留していることがわかりました。
水道局の人は「衛生よし!」とか言って逆に安心するのかもしれませんけどね。
2014年夏。海外で世界の塩素濃度もチェック。
塩素が自分の汗疱の発症に大きく影響している可能性が高くなったはいいが、まだウラが取れていませんでしたし、完治に向かっているわけではありませんでした。
塩素だと認識してからは、どのようにして生活から脱塩素するかも同時に考えていました。
しかし、出張でホテル住まいもするビジネスマンとしては、外での脱塩素も非常に大きな問題として暗澹としていました。
そんな折、また連続で海外出張に出る機会があったので、海外の出張先でも塩素濃度を測ろうと試験紙を持参して渡欧したのでした。
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私が試験紙を使って調べた海外の水道水の残留塩素の多い少ないは下記の通りでした。
塩素が含まれない。もしくは非常に少ない。
ドイツ、スイス、フランス、イタリアミラノ、オーストリア、タイ、シンガポール。
塩素が多い。もしくは検出される。
日本、アメリカLA、香港、韓国、イタリアフィレンツェ、イタリアローマ、
上記の以外の国は行ったことがない、もしくは測っていないです。
その滞在先の中、脱塩素の方法の下地ができる前に、シンガポールに10日間ほど滞在した際に、水道水の塩素濃度を測り、塩素が含まれない事を確認して、私の汗疱が回復するか気をつけて観察しました。
結果は睨んだ通り、汗疱は悪化せずむしろ回復傾向に向かいました。手の薄皮も剥がれませんし、痒みもなく、日本でシャワーを浴びた後に感じるベタつき感もなく、髪の毛もサラサラになります。
この時点で私の汗疱の症状は水道水の残留塩素によるものと断定できました。塩素に対するアレルギー反応と断定しました。
これは普段調理に使う水にしても塩素を含んでいることを意味します。体に浴びているだけでなく、体の中にも摂取していることになります。
微量とはいえ塩素を飲んでいるんです。
体の中の常在菌などは破壊されないのでしょうか? だんだんと怖くなってきます。
帰国する際、身の回りの全てのものから脱塩素する事を心に決めて自宅に戻ったのでした。
続く。
汗疱を克服した話。その3
汗疱の症状というのは手が痒い。掻き崩すと痛い。痒いよりは痛い方がマシなので血が出ようが、皮膚がパックリ切れてようが、最後には掻き崩してしまいます。
痒みから解放されるときは、覚醒剤をやる時に出る脳内物質に近いものが分泌されるのではないかと思います。
覚醒剤はやったことはありませんけどね。
まず、目に見える手の表面の状態以外の症状。痒みの症状ですね。これには段階があるんです。
まず、何も痒みを感じない。
次に痒みではないが、何か皮膚に違和感を感じる。
次に神経を細かい針で軽く触られるようなピリピリした感じを疾患のある全域に満遍なく感じる。
そして、我慢できる痒みが来て、そのあと耐えられない痒みとなります。
2013年冬 。トンネルの出口が見えそうな予感。
また、日常に戻り塗り薬と手袋の日々が始まります。キャンプ地での手の症状の感じ方に関して反芻を繰り返していました。
上記にて説明した痒みの症状、普段の日常生活では朝から晩まで、常に手にピリピリとした症状を感じ、いつでも爆発的な痒みが出そうな状態で過ごしています。
なぜ、クライミングキャンプのときはそのピリピリ感すら感じなかったのか? 常に考えるようになりました。
何か楽しいことに集中しているからなのか、寒い地域なのが良かったのか?
逆に薬を塗らないのが良かったのか?
むしろ何か過剰に摂取してアレルギーのような反応が出ているのか、普段から日常的に接しているものに目を向けるようになりました。
具体的には、ホルムアルデヒドやハウスダストなど自宅や会社のオフィスでも接する可能性のあるものです。身の回りには様々な危険物質に溢れています。
そんな中、予定していた海外出張に出かけることになります。出張先はまずドイツに10日間ほど、日本に戻って3日程度で今度はタイに出発してさらに1週間。
タイから戻ったらそのあと1ヶ月程度日本で過ごし、今度はまた10日間ほどシンガポールです。
まずドイツとタイの出張を乗り越えるべく、薬の準備をしました。海外では同じ薬は購入できないと思い、コーフル、ワセリン、アレルギール、ビオチンなど、症状を抑えるのに効果的な薬は全部用意しました。
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このアレルギールは痒みにに対する飲み薬としても効果を発揮しました。
花粉の多い時期は今でも使用しています。
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コーフル。克服したいまでも薬の棚に入っています。 症状抑制によく効きました。
冬の寒い時期にドイツですからさらに寒いでしょうし、そこまで症状は悪くならないだろうと思ってましたが、痒みが酷いと塗り薬を多くなってしまう傾向があったので使い切らないかどうか心配でした。
2013年冬のドイツ。痒みを感じず症状良化。
ドイツでは常にお客さんのアテンドで、夜寝るためにホテルに戻るまでは、朝食から夕飯までお客さんと一緒です。
初対面の方もおられたので、白い手袋をはめている理由も最初に説明していました。
しかしながらお客さんも気にかけてくれます。
「見た目の問題を気にして我々に気を遣って手袋してるんなら、気にしませんから手袋外した方が過ごしやすいならそうしてください。」
これがありがたかったのは手袋すると手から熱が逃げにくくなります。体温が高くなると痒みが増すのは経験上、法則性があることを理解していましたから、症状の緩和にはソフトな励みになりました。
手袋を外すと手の表面の温度から下がり、ピリピリとした痒みは比較的軽減しました。
痒みが収まると汗疱のことは頭から離れて仕事に集中できます。初日のその日は耐えられないほどの痒みもなく1日を終えました。
その晩、寝る前に手に薬を塗ろうとした時にふとキャンプ地での痒みがなかった事を思い出します。
「あの時薬を塗らなかったな」
「今も痒みは収まっているしよほど痒くならない限りこの旅でも薬は塗らずに過ごしてみるか」
薬を塗らない事が正解ではなかったのですが、この旅では痒みの症状はなくなり、常時ボロボロとむけてくる手の薄皮もはがれなかったのです。
ひとしきり仕事を終えてドイツでの出張もクライマックスを迎える頃、ドイツ側の会社の招待で温泉地バーデンバーデンに行きました。
ここは世界的にも有名な温泉地で、ヨーロッパの人たちは温水プール的な使い方をしますが間違いなく温泉です。
私たちも今回の仕事の成果を労いながら温泉に浸かります。もうこの時には自分が汗疱持ちで手の疾患に悩まされている事など忘れていたほど何の症状も出ませんでした。
お客さんから言われました。
お客「手の具合はまだ悪いんですか?」
私「いつもより良い感じがします。薬も塗っていないんですけどね、、、」
お客「何かが影響してるんですかね?早く良くなるとよいですね。」
仕事は成功に終わり、約10日間のドイツ出張から帰国する頃には、まだ手は酷い状態でしたが痒みに悩まされる事はなく、薬もほとんど使わずに一時帰国となったのでした。
日本に戻るなり痒みが再発しました。
また、あのピリピリした痒みから始まります。風呂上がりには薄皮が剥がれ、すぐにワセリンなどを塗ります。
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この時から日常生活圏内を離れると症状が良くなる法則性ついて確信めいたものを感じるようになります。
しかし、ひと息つく間に今度はタイへ出張です。今度は会議なので特に同伴者に気を使う必要性は低いので、ドイツの時と同じように過ごそうと出発したのでした。
タイでの滞在では水道水の衛生問題に注意という事で、飲料水、洗面、特に歯磨きなどでもボトル入りのミネラルウオーターを使っていました。
タイは暑いので、症状が悪化するのではないか思い、前回のドイツよりも薬は多く持参しています。しかし嬉しいことに、ここタイでも痒みの症状はほとんど出ませんでした。
ここで遂に、長い間探し求めた正解という確信が、漠然と心の奥底にあるのを感じます。
「特定出来そうだ。」
もはや確信に近かったと思います。
その4に続く。
汗疱を克服した話。その2
転勤に先立って、その1で紹介した薬。更に医師から処方されたステロイドとクリームの銘柄を記録して、転勤先でも同じ薬が買えるように準備しました。
症状を食い止めるのには、特にコーフルとビオチンの合わせ技が効いていたと思います。
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特に私はお酒を飲むので、アルコールの摂取によってその分解にビオチンが使われて、ビオチン欠乏になって、何たらかんたらとネットでみたので試してみたんです。
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この方法は症状抑制によく聞きましたから、根本療法の方法に行き着くまでは、この方法がメインの対処療法でした。
転勤先でも、まず皮膚科で皮膚の診断、細菌検査、アレルギー検査。
全て行いましたが、わからずじまい。
別の内臓疾患と、歯の詰め物の金属にアレルギーを真剣に疑い始めます。
歯に関しては結構な本数を治療済みでしたので、全てセラミックに変更するにはかなりの金額がかかります。
嫁に相談しますが、高いと真剣に取り合ってくれません。こっちは真剣に悩んでいるのにと思いますが、これが根本療法という確信がないのに保険がきかない100万円以上の治療をするのはなかなか踏ん切りがつきません。
歯のセラミック化は諦めて、他の方法を探ることにしました。
原因は複合的に絡みあっていることを疑い、手汗、石鹸、シャンプーなど手に関する要素は全て試しました。
ネット情報では、かのタモリさんがやっていたとの情報もある、お湯シャンです。
要はシャンプー使わないんです。要は界面活性剤を使用しないということですね。
お湯の温度が油分を溶かすんでシャンプー要らない。適度な皮膚の細菌を落としきらないという目的もあるとかないとか。
石鹸も使わずにお湯シャンを1ヶ月程試しましたが、何も改善は見られませんでした。
2013年 夏。足にまで汗疱が現れる。
相変わらずコーフルを手に塗りたくって、ビオチン飲んで手袋はめてました。ある朝、ベットで靴下を履くときに足の裏を見たんですが、例の水泡が土踏まずの土手から親指側の付け根にかけて大量に出来ているのを発見しました。
愕然としました。多少の痒みは感じていましたが、ここまで進行しているのかと、、
まだ、痒みの症状は酷くなかったので気付きませんでしたが、これはいよいよ仕事やその他の生活に影響してきそうな絶望感で目眩がしました。
このような精神的な事で、仕事を休んだのは初めてでした。
枕を涙で濡らし、このまま残る人生を一生この謎の病気と付き合っていかなければならないと思うと、自然と涙がこぼれ落ちてきたのです。
人間って精神的な事で目眩がしたり、倒れたりしてしまうのですね。
この時に実感しました。鈍感さには自信がありますがこの時ばかりはどうしようもなくなっていました。
藁にもすがる思いでこの時期はワセリンも併用していました。コーフルと交互に使ったりしていました。
これもネットから情報を得て有効だとの報告があったので試していました。
ワセリンは何か分厚い膜のようなものもので守られている感じがして、安心感がありました。薬効には期待できませんでしたが、コーフル同様一定の効果を発揮したと思います。
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皮膚にやさしいと思いベビーワセリンを使っていました。
普通のワセリンに比べて重たくない感じで良かったと思います。
しかしながら、対処療法としては機能しますが、症状は根本的な改善の兆候が見られず、時間だけが無情に過ぎていきます。
無情にもこの時期に支店の責任者に昇進させられます。東京と大阪の行き来もあり責任者としてのプレッシャーもあり私の豆腐のメンタルも崩壊寸前です。
この頃から瞑想も始めました。
精神的にはかなり効果があったと思います。
瞑想の話は時間がある時また別の記事でしたいと思います。
2013年 秋。変化を感じる。
この頃になると、この謎の病気と向き合っていこうと思う時期に入ってきます。
瞑想の効果もあるのかもしれません。
塗り薬、手袋などは当たり前のように生活の一部となり、出張、旅行などにも欠かせません。痒みに対する対処。塗り薬のタイミング。痒み止めの飲み薬。その対処方は多岐に渡ります。
症状は悪いながらもなんとか精神を持ちこたえて病気と共存していたそんな秋口のとある連休。
横浜のクライミング仲間が長野県の小川山という日本のクライミングのメッカとも言える場所にキャンプに行くので来ないかと声がかかりました。
転勤前、汗疱が悪化するまでは毎週のようにその仲間達とクライミングに行った山です。
転勤したばかりで大阪にクライミングのパートナーもいなかった私は、久々に思いっきりクライミングがしたいと思い。大阪の転勤先から車で8時間、長野県は川上村へと出発したのでした。
しかしこの外岩でのクライミングは手の皮を酷使します。
チョークを使いますし、ヌルヌルの手では上手に登れませんから、薬は塗れないですし、何よりまだ汗疱の原因が掴めない状態でクライミングで手を酷使するのはいかがなものかとうのもありました。
しかし久々の友人達に会いたい気持ちもあって、キャンプだけでも良いかと出陣する事に決めたのでした。
今思えば、この偶然の判断が汗疱克服へのターニングポイントになったと感じています。
2013年秋。キャンプ地での症状良化。
クライミングキャンプは3泊でした。
季節は正確には9月の下旬で、キャンプサイトやクライミングスポットは標高1700m以上。
夜半には冬の始まりを感じさせるくらい気温が下がります。
私の汗疱の症状や痒みは冬に和らぐ傾向があり、これもキャンプに参加する動機の一つとなっていました。
キャンプサイトには営業小屋がありお風呂がありますが、真夏で汗をかかない限りは3泊程度では私達は昔からお風呂には入りません。
小川山では普段からクライミングを終えてテント場に戻ったらすぐ宴会です。
そんな時でもチョークを落とすために手を洗い塗り薬も欠かせません。
しかしながら、食事の調理などあるので、あまり塗り薬は使いませんでした。
ただ最終日の前夜、皆に会えた事が嬉しくて、酔っていましたが、みんなを誘って小屋のお風呂に入ったんです。
温泉ではなく沢の水を引き入れて沸かしているだけのお風呂でしたが、なんとも気持ちよくお風呂に久々に入ったもんだと今でも印象に残っています。
3泊のキャンプを終えて家路に着く頃にはあまり痒や症状の悪化は感じなく、いつもより症状が和らいでいました。
帰りの車の中、また平日が始まるのかと思うと憂鬱で、手の汗疱のことを考え始めたのですが、この4日間は特に手の痒みを感じなかった事に気付きました。
帰りの車で手の状態を観察して見ますが、いつもより症状か改善しているようにも見えました。
「明確に症状が良くなっているな、、、何故だろう。。。」
しばらく考えながら車を自宅へと走らせたのですが、途中で考えることを忘れて大阪へと戻ったのです。
しかし、この時から生活環境に対して私の注意が向き始めたのでした。
その3へ続く。
令和元年。陸上自衛隊。富士総合火力演習。
友人のご厚意で陸上自衛隊の富士総合火力演習に行く事になりました。
もともと行く予定だった人がチケットをゲットしてくれたそうですが、予定が入ってしまって来れなくなり私に声がかかりました。
これで通算2回目、大変嬉しいです。
陸上自衛隊の総合火力演習(総火演)は年に一度、8月の下旬に行われます。昭和36年から自衛隊富士学校の生徒に火力の力を認識させるための演習として始まったそうです。
今回、一緒に行った友人とは10年に以上前から行きたいと話しており、その毎年応募していましたが、なかなか当たりませんでした。
それもそのはずで、普通のチケットは約28倍、駐車券付きのチケットは209倍の倍率とのことで、その大半が地元関係者やその他コネのある人達に流れているのではないかと推測できます。
そんな中、私は2016年に別の友人から参加予定の方の欠席によって初めての総火演を3年前に体験することができたのでした。
今回も同様のパターンで参加することが可能になりました。
なんと駐車券付きです。
友人と計画を立てます。
駐車券といっても、自衛隊の広い敷地の中に、 3カ所の大きな駐車場があり、そこからはシャトルバスで本番の行われる演習地に行かなければならないのです。
駐車場からのシャトルバスは大変混雑するという情報を得ておりましたので、良い席を取るためにも早朝早く乗り込もうと言う計画になったのでした。
本番の演習は10:00〜12:00の予定でしたが、シャトルバスの運行が始まる朝6時を目標に駐車場に行きました。
駐車場には6時半に到着。
既に結構な人があります。
さすがは自衛隊で来客導線の作り方がなど、統制が取れており流石ですねー。
並ばずストレスを感じることなくシャトルバスに乗り込むことができました。
まぁ、まだ朝6:30ですから当然かもせれませんけどね。
補助席まで全席しっかり使って乗り込みます。今回駐車場は海苔川駐車場。ここから自衛隊の敷地内と一般道を使って、演習が行われる自衛隊の敷地向かいますが、約20分ほどの道のりとなりました。
到着しました。
前日までは雨の予報だったのですが、最終的に曇りの天気予報となり何とか雨に降られなそうな感じです。時折雲間から富士山がきれいに見えます。
今回はスタンド前のシート席でした。
結構前の方ですが着席が必須で大砲が着弾する遠くの方がよく見えますが、近くは人の頭に隠れてちょっと見えにくかったです。
演習開始の3時間前ですが既に何台もの戦車が出てきて本番同様の訓練を実弾で行なっています。
これを見ているだけでも大砲の音がはハンパなく、着弾の衝撃波を体で感じることもでき全然飽きません。
富士山と同じ形に発破させる大砲。
既に本番でやるのと同じことを練習しています。
実は 3年前にも来ているので演習の内容が大きく変わらなければ、前回本番で見た内容と同様の訓練を行っていることがわかります。
ただ本番はアナウンスがあるので大砲が発射されるタイミングを予測できるのですが、この練習ではそれがないので突然の爆音にびっくりします。
しかしながら早朝の段階から本格的な実弾射撃を見学できるので朝早く来ても飽きることがありません。
9時ごろになるとデモンストレーション用の広場を整地したり散水したり、要は本番に向けたグランド整備が行われ、その後10時から本番の総火演が開始します。
会場にはお土産屋さんや売店、屋台などが出店しており、スキマの時間も飽きが来ないようになっています。
もう1人の友人のために戦利品としてお土産をゲットしました。
そして待ちに待った本番の開始です。
色んな特色、特徴を持った戦車が次々と出てきては、遠くの目標に正確に射撃します。
とにかく音が爆音と射撃支持のアナウンスがあいまって臨場感がすごいです。
ヘリからの実弾攻撃、F2戦闘機からの爆撃。
第一空挺団の降下、展開。迫撃砲の発射などみんな大活躍でした。
演習は前半と後半に分かれており間に15分の休憩がありました。
前半は各戦力の紹介とその射撃。
後半は、水際国防をテーマにした敵制圧の実演。
敵の侵攻を見事に封じ、制圧して見せました。
大変素晴らしい演習を見学できました。
日本の国防はこの人達に任せておけば大丈夫だと感動を覚えました。
演習終了後の12:15分頃。帰りの混雑もあるので、早々にシャトルバス乗り場に向かいました。これまた導線は完璧で各駐車場へ向かうバスに並ぶレーンが個別にロープで分けられていました。
流石に終了直後でしたのでバスが来るまで結構待たされましたが、特段批判的になるような感じではありませんでした。
並び始めてから駐車場到着まで約1時間程度でした。
また見学できるのなら、是非きたいと思います。
汗疱を克服した話。その1
汗疱を克服した話。
実は2012年の始め頃から、2014年の終わり頃まで2年間、酷い汗疱に悩まされていた時期がありました。
備忘録としてもそうですが、今も悩んでいるでいる誰かが偶然このブログに彷徨いつき、私の克服記録を見て症状が改善すれば良いなと思って、当時のトライ&エラーを記しておきます。
私は医師ではありませんので、この記事内容の正しさや、根拠については一個人の戯言と話半分以下でご覧下さい。オカルトチックです。笑
まずおさらい。「汗疱とは。」
皮膚科では手湿疹とも診断される場合があります。大体は指先に小さな水泡がプツプツと出来て非常に痒くなります。
かき崩すと水泡が潰れます。酷いとそのくらい痒いです。水泡が潰れると何かリンパ液のような水分が出ます。
水泡が潰れるので、皮が剥けます。
皮が剥け手が荒れたようになります。その時も痒いです。その後回復期に入ります。完治する頃にまた水泡が出来ます。
上記の流れを繰り返します。
皮膚科に行くと大体は手湿疹といわれ症状の度合いに応じて、クリームかステロイドを処方されて様子を見ろと言われます。
対処療法なので完治できずに不満を募らせる方が多いと思います。病院では大体のケースで、原因はよくわかりませんとお茶を濁されて終わります。
では私のケースがどうだったか話をしましょう。
2012年春。症状に気づく。
もともと幼少時代はアトピー持ちでしたので、皮膚は弱い方だと思います。大人になってからも時折アトピーの症状は出てましたが、この時期に小さな水泡とともに指先が痒くなるのに気づきました。
指の第1関節の手の甲側、水疱は各指に満遍なく出来ます。指先は神経が多いせいかとても嫌な痒みでした。
薬も塗らず、医者へも行かずしばらくほっときました。
2012年夏。症状悪化。
水泡は指の手の甲側だけでなく、手のひらの内側にまで及んで来ました。指の側面もです。
同じ時期にクライミングを始めてたものですから、チョークを手につけるので手が荒れやすいもんだと思って市販の薬を塗ってました。
「フルコート」とか「テレス」とかそういうのです。症状悪化を食い止めるのには多少役に立ったと思います。塗ったあと、かゆみはだいぶ収まります。
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しかしながら、薬に対して耐性ができるためか、良く効く時期を過ぎると手の皮はどんどん剥がれ落ち、かろうじて皮が剥けていないところは水泡だらけです。 |
昼間は薬を塗って痒みを我慢するのですが、夜睡眠中に無意識に掻き毟るので、水泡が破れどんどん悪化します。
この時期になってやっと皮膚科へ行くことにしました。
診察はお察しの通り、、
医者:「手湿疹ですね。ステロイド出しときますから処方通り塗って、様子をみてください」とのこと。
私「原因はなんなんですかね?非常に辛いんです。」
医者「アトピーって原因不明って意味なんですよぉ。ストレスもありますし主婦の方もよくこの症状が出ます。あまりに辛いようならステロイド出しときますから。しばらく様子を見て下さい。」
私「あぁ、そうですか。。。」
「お大事に。」 が 「毎度あり!」に聞こえました。
まぁ、お医者さんも目の前の患者をこなすのに目いっぱいで普通はどこもこの程度の対応でしょう
しかしながら、取り敢えずは医師の指示に従い様子を見ることにしました。
2012年秋 症状激化。
この頃には掻き崩した指があかぎれのようにパックリと切れて血にもまみれ始めました。
手の甲側の指はとくに酷く、ビジネスの場での名刺交換も相手に不快な思いをさせるため、所謂、「車掌さんの白い手袋」を日常的に装着するようにまでなったのです。
綿100%のやつですね。日常的に触るものを汚さないし、薬も落ちにくいし非常に重宝しましたよ。
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自分の手の状態を記録して写真を取っておくべきでした。
むしろ観覧注意のレベルです。
塗り薬はステロイドにレベルアップして毎日塗りたくってました。
ステロイドを塗ると一時的にはよくなるのですが、薬の量を減らしたり、薬の強さを抑えたりするとまたすぐに発症します。
嫁さんにはクライミングのチョークに原因があるのではないかと言われました。
そんなはずはないだろう思いながらも、だんだん自分の心がぶれ始めるのに気付き始めます。
2012年 冬 改善見られず。
冬に入ると、冬山登山、アイスクライミングなどチョークの使用頻度も下がり変化を観察できる時期となりましたが、水泡、あかぎれ、痒み、痛み出血でストレスが半端ない状態です。
手にステロイドを塗りたくってましたから、素手でいると電車のつり革もヌルヌルにしてしまいます。
ですから相変わらず「車掌さんの白い手袋」を常時装置していました。
この頃から、医者はもう信用できないのではないかと猜疑心が芽生え始めました。
ネットで同様の悩みを抱える人などいないかどうか調べ始めたのもこの時期です。
2013年 春 迷走期に入る。
症状は相変わらずでした。
この頃から夜半に掻き崩すとき、特に痒くなる日と、そうでない日がある事に気付き始めます。
日本酒を飲ん日夜半は特に痒くなるのです。多分体温の上昇とかゆみがと関係してるんだと思います。
まず、日本酒を飲むのを辞めました。
この時期からネットでの調査は更に熱を帯び始めます。
そして、この春から約1年以上の迷走が始まります。
まずは、手の温度が関係してるんだと思い、仕事中に痒みを我慢できない時は水道水を出しっぱなしにして手を冷やします。
そして薬を塗ってまた手袋をします。
冷やすもんだから、反動でまた手はまた熱を持ち痒くなります。
これは水で冷やしている最中は良いですが、全く改善されませんでした。
この春先は花粉の時期で、何かのアレルギー反応も疑い検査に行きましたが、特に反応なし。歯の詰め物の金属にアレルギーを示している事も疑い調べますが異常なし。
ネットで汗疱の改善を調べると、よく効くと言われる「コーフル」という塗り薬が出てきました。
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これは痒みの対策としてはよく効きました。
最初に使ったときの「これだ!」感は今でも忘れません。しかしながら、症状の抑制には効果を発揮しましたが、完治まで行きません。体に耐性が出来るのか効き目もだんだんと弱まっていくのがなんとも悲しかったです。
その他ネットの情報では、ビオチンの欠乏によって症状が出ており、それを補う事で症状が改善したという文献も見ましたので試してみました。
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これもコーフルとの合わせ技で希望をもってしばらく試しました。
塗り薬がきいているのか、ビオチンが聞いているのかよくわからないまま、
大きな改善は見られず数か月で挫折してしまいました。
周りにはこの辛さを本当の意味で分かってくれる人間がおらず、誰も信用できなくなっていきます。
更に追い討ちをかけるようにこの時期、勤務先の支社長の交代劇よる派閥争いに巻き込まれて転勤を言い渡されます。
いっこうに症状が良くならないストレスと人間不信とでうつ病を発症する一歩手前まで行っていたと思います。
その2に続く。
ワガママボディーが止まらない。
どうにもワガママボディーが止まらないです。
最近、周囲の環境の変化もあって、少しクライミングからは遠ざかっていますが、特に食生活を変えているつもりはないのです。
以前はなんてことない山歩きでも最近は体力の消耗が激しかったりします。
何故でしょうね?
単純に歩く機会が少なくなったからですかね?
最近、数本のスリム系スラックスパンツを避けている自分がいる事に気付きました。
やはり。以前より太ってるんでしょうね。
私は、自己啓発本や健康法の本を読み漁るのが大好きで、もう最近の新作は余程斬新でない限り、過去の理論の焼き増しに見えます。
機会があれば、為になった本をまとめたいと思いますが、今回はワガママボディーの話ですね。
少し脱線しましたが、あらゆる健康法をまぜこぜにした結果、私は普段から1日2食です。 食べるのは昼と夜ですね。朝は食べません。昼は糖質の多い主食は取らず、夕飯はバランスよく食べます。
どうやら最近この夕飯が糖質を抑えれば良いだろうとおかずの量が増えているようなのです。(確信はありません)
嫁さんに言わせれば、「増えているようなのです。」ではなくて、「確実に増えてるだろ!」ってことだと思います。
昔に嫁のオヤジさんに貰った旧型のタニタの体重計は「もう動かないお爺さんの時計」状態です。
ただの電池切れでしょうけどね。笑
新しいのを買うとすれば体脂肪がちゃんとわかるものにするつもりです。
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クライミングに最も傾倒していた時のベスト体重は74kg、体脂肪率は15%当時の最高グレートは秘密です。。笑
わざわざ書き出すほどのキレッキレの体じゃありませんでしたが。その時はよく動けていた感覚があります。
身体は187cmですが、今は何キロなんでしょうね。触覚を失ったありのように彷徨っていますね。
「新しい電池を買え!」と突っ込みが入りますね。確実に。
先日の山歩きも非常に辛かったので少し減量に励みたいと思います。まずは夕飯のオカズの量を減らして変化を確認してみたいと思います。
まず減量前にワガママ時代の今の体重を測って、減量の過程を記録したいと思います。
過去にベスト体重だった頃は下記のプロテインをクライミングの後に常用していました。味も良かったので久々に買って原料に取り組みたいとおもいます。
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西丹沢。檜洞丸ハイキング。
ツーリングの翌日はハイキングです。
天気は一日中曇り、夕方17:00頃からは雷雨の予報。
気温もさほど上がらないので、沢登りには気温が低いと思いハイキングにしました。
眺望はなさそうですが歩く体力トレーニングとして飽きのこない檜洞丸はツツジ新道ルートから頂上に向かいます。
どんより曇り。スタートは9:00気温28度。
頂上までは4.8km. ジメジメしてます。
私たちの馬鹿話は会話のボリュームがデカイので熊鈴はいりません。笑
序盤の急登を超えると緩やかなツツジの回廊が癒しを与えてくれます。メンタルに良いですね。
後ろから友人。ダチですな。
奥へ進むほど原生林に癒されます。
途中。ゴーラ沢出合でオネーサン2人組に遭遇。下山中のようでした。
普段は渡渉が簡単で川を渡れるのですが、増水のため靴と靴下を脱いで渡りました。
渡渉後はしばらく急登が続きます。
途中の展望台で大休止。眺望は良くありません。
途中、黄色い花が所々に咲いています。
なんの花かは知りませんが緑一色の夏山にアクセントがつきますね。
頂上が近づいて来ると木道が整備されています。
この木道は、皇室の方のような偉い方が来たり、植生の保護だったり理由は様々ですが自然の中で宙に浮かんだような気持ちの高揚がありますね。私にとっては。
もうしばらく歩くと頂上です。11:45頃に到着です。おおよそコースタイム通りです。
出発直後はグレートトラバースの田中陽気のつもりで飛ばして降りましたが、後半失速。汗だくと息切れで朦朧としながら山頂に到着しました。
やはり晴れてませんね。
朝、コンビニで買い込んだもんでしばしの宴会を楽しみます。夏山にの山頂ですが曇っているので日差しは辛くありません。気温は体感で26度程度でしょうかね。
湯沸し用のガスボンベの色が黄色なのですが、熊蜂が花と間違えてやってきます。雄は近くで見ると可愛いですね。シャッターチャンスが訪れず良い写真が撮れませんでした。涙
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ひとしきり宴会を終えたら、まだ歩いたことのない。テシロノ頭からヤブ沢の頭を通り箒沢橋へ抜けるルートで下山しました。
急な下でストックを使うのは私にはあまり向いていませんでしたね。
台風で抜けた木の根元に笹が生い茂っていました。なかなか面白いですね。
最後は予定より少し早く雨が降ってきてしまい。カッパを着て下山。最後1時間は土砂降りのなかの歩きとなりました。夏らしく変化に富んだ天候と辛いハイキングを楽しめました。
良い尾根でした。
トータル7時間の山行となりました。
日帰りツーリング。
この日曜日と月曜日はもともと小川山にクライミングキャンプに出かける予定でした。
日曜日の天気はまだ持ちこたえそうでしたが、月曜日が雨予報。日曜日も地域によっては雨が降るとのこと。
散々悩んで、日曜はツーリングに出かけることにしました。
ヤマハのXSR900 をレンタルしました。
大型二輪を取得して初めてのツーリングです。
いつもは嫁さんも参加するので1人乗りで丸一日のツーリングも久しぶりですので、楽しみです。
ハーレーの883Rに乗る友人にお付き合い頂きました。
この友人はクライミングのパートナーでもあります。
朝6:00に集合して涼しいうちに海沿いを走り、標高の高い高原を走ろうという計画で、神奈川県央部出発して西湘バイパスから箱根に向かいます。
まだ朝もガラガラなのであっという間に芦ノ湖到着です。
芦ノ湖の遊覧船はどうやって持ってきたのかしら?と小学生のような会話をしながら、朝の静かなマッタリした時間を過ごします。
まだ早いので、箱根の高原のワインディングをウロウロして軽い朝食を食べて、御殿場経由で、富士スカイラインへ。
森の駅富士山。
マイカー規制で、五合目に行きたい人はここからバスに乗って行く必要があります。
ここでコーヒー休憩。
そして山を降りて富士宮へ。心地よい涼しさの富士スカイラインとは打って変わってとにかく暑い!
しかしご朱印をもらうため、富士宮焼そばを食べるためには仕方がないのでした。
湧き水の木陰は涼しかったです。
普通に飲めますね。汲んで持ち帰る人も居るみたいですね。
お昼に食べた富士宮焼そば。普通です。
暑すぎるので、朝霧高原から本栖湖方面に避難しようと出発。朝霧高原のフードパークで休憩。
丸い穴が空いた溶岩。
標高約1000m犬連れなどに人気がありますね。
自転車の人達にも人気がありそう。
雲行きが怪しいですが、西湖に向かいます。
西湖付近を走行中に土砂降りの雨に遭遇します。途中のトイレパーキングでしばし雨宿りしますが一向にやみません。
携帯で帰り道の山中湖のライブカメラを見ると雨は降っていないので、カッパを装備して山中湖に向かうことにしました。
案の定、到着する頃には雨はやんで、バイク本体も乾いてしまうほどでした。
ここでカッパを脱ぎます。
最後は少々時間が余っているので、山中湖パノラマ台に向かいます。以前、御殿場からの帰り道に東名渋滞回避で通った時に、夕日の絶景が見れた所です。
少し雨に濡れたメッシュジャケットが風を通し、気化熱効果で心地よい冷感を感じながら夕方の山中湖を高台から見下ろします。
最後はお得意の道志を抜けてレンタルバイクを返しに行って帰宅となりました。
お疲れ様でした。
長野へGO! 最終日
最終日の今日は岩岳マウンテンリゾートへやってきました。
ここはペット連れでもゴンドラに乗って山の上まで行けるのです。暑さから逃れたいワンコ達で一杯です。
早速サニー君生まれて初めてのゴンドラに体験です。非常にそわそわしています。
窓際に近づくと空を飛んでいるような景色なので、人間だって初体験だと怖いのに、犬が怖くないはずがありません。
ここはマウンテンバイクのメッカのようです。
ゴンドラでマウンテンバイクを運んで頂上から冬はスキー場の所をダウンヒルで滑走していくのです。エクストリームスポーツ好きとしては是非体験してみたい!
ジグザグにバイク用の道が整備されています。
山頂はスキー場のレストランがあるエリアで、休憩所、ドッグランやくつろげる広場があって下界から吹き上げてくるそよ風が気持ちいいです。標高は約1280mくらいですかね。
サニー君も気持ちよさそうに駆け回ります。
ラブちゃん、シュナちゃん、バーニーちゃん、ダックスちゃんなど色々なお友達に出逢えたね。
タープの下でまったり過ごしたりしていいなぁ。
途中、安曇野付近で少し遅いお昼を食べて早めの帰宅。
今回はそばばかり食べてたね。
いろんな蕎麦種類によって味わいが違うことを学んだね。
帰りは大きな渋滞なく自宅に帰れたね。
良かったね。
楽しい白馬旅行だったね。
長野へGO! 2
二日目の今日はあいにくの天気で朝から雨がザーザーと降っております。
滞在先の白馬からは少し遠いのですが、午後から晴れる予報でしたので、戸隠神社に出かけることにしました。
戸隠神社⛩と言えば、高野山、比叡山と並ぶ3大神聖スポットですね。
戸隠連峰。約標高1900m程の峰々を背に、約5つの神社と数々の宿坊をたたえる修験道のエリアですね。
ご朱印帳も持ってきたので、めぼしいところでは、訪問の証をゲットしていきたいと思います。まずは無料の駐車場に車を停めて中社の3本のご神木を拝みにいきます。
お昼に宿坊で季節の天ぷらとお蕎麦のセットをたべてとても美味しかったのですが、写真を撮り忘れました。涙
ご神木! 丹沢にある弁天杉より胴回りが少し細いのかな?
お参りとご朱印は欠かせませんね。
中社のご朱印ゲット!
ここから奥社入口へは歩いて30分。そこから奥社本殿へは2キロの道のりを40分ほど歩くということなので、奥社入口までは車で行くことにしました。サニー君はエアコンの効いた車でお留守番なのであまりにも長く、そして車から遠くへはいけませんからね。
そして奥社の参道入口。
ツアーバスなどもきており多くの参拝客が奥社へと向かっています。杖をついたお年寄りなどもおり日本人の信心深さを改めて感じます。ちなみに参道入口脇の駐車場に車を停められました。一回600円です。
一キロ歩くとこの苔むした門が出迎えてくれます。
ここから杉の巨木の回廊を歩きさらに高度を上げて行きます。
ここで標高約1200mほどでしたでしょうか。
ガシガシ歩けばあっという間に奥社へ到着。
雲の切れ間にわずかに戸隠頂上が見え隠れしています。。 修験道の山ですな。。険しい山に見えます。
ここまででも、「もう無理。」ってなってる人達は大勢います。
「俺はなぜに山に登るのか?」
それは、、
「頂上でのビールが染み渡るから」
不純な動機ですね。
隣に九頭龍社もセットであります。
ちなみに戸隠神社はスポーツ必勝にご利益があるとか、、
今晩の宿も白馬なので来た道をそのままピストンルートで戻ります。その途中におやきの有名なお店、「いろは堂」さんに寄り道。
市街地からかなり離れた国道406号沿いですが、そんな立地がより風情を引き立てますね。
囲炉裏と土間のある店内でブナシメジのおやきを頂きました。
蕎麦粉を使った生地がモッチモチ。
中身の具も多い。さらに少し小ぶりなのでパクパク食べられます。おやつとして一個だけのつもりが、ネギ味噌のおやきをおかわりしてしまいました。
あざみおやきをサービスしてくれました。
街中にも催事で出店するお店なので是非また食べたいと思います。
宿に戻ったらお待ちかねのサニー君の散歩。
白馬の八方の湯に浸かってその日の疲れを癒したのでした。
続く。
長野へGO!
お盆は愛犬サニー君を連れて長野に小旅行来ました。台風10号の影響か高速道路はガラガラです。途中、シャワーのような雨が所々で降りましたが、安曇野に着く頃にはだいぶ空が高くなって、予定通りの工程をこなせそうな感じになって来ました。
現地付近には、9:30頃到着。まずは、アルプスあずみの森へとやってきました。
オープン直後なのでやはりガラガラです。
ここは国営の自然公園で、もともとの原生林を生かした作りになっており、沢遊びや、アスレチック、マウンテンバイクなど様々なアクティビティが楽しめます。ちなみに、前日に熊の目撃情報があった為、本日はマウンテンバイクのコースは営業中止でした。
空中回廊もあって森の奥深くまでいけます。
サニー君嬉しそうですね。
沢沿いの遊歩道もなかなか気持ちいいです。
途中で猿を目撃!人間は大丈夫そうですが、
サニー君には警戒しているようです。
わかりますかね?遠くのショットですが、、
遊歩道も整備されていて快適ですね。
いつものクライミングは道なき獣道を歩くから大変だよね。
スタコラサッサと公園を後にしたらそろそろお腹が減る頃ですね。ステレオタイプなので信州と言えば蕎麦を食べずにはいられませんね。場所は街道沿いの蕎麦屋「しみず」さん
お店で手打ちしています。かき揚げ付きの大盛り。酒飲みの私は信州の七味で蕎麦をつまみ風にして食べるのが好きです。
ちなみに運転しますから呑めません。涙
お蕎麦を食べた後は、長野オリンピックで使われたジャンプスキーのジャンプ台を見学。
間近で見るジャンプ台は想像をはるかに超える大きさで、オリンピック選手の凄さがひしひしと伝わってきますね。
傾斜の凄さが伝わるかな?
感動したね。思い出したね原田さんの涙を。
またもや抜かれたね。
「度胆を」
この頃には日差しも出てきてだいぶ暑くなってきました。460円払うとジャンプ台の頂上まで行くことができます。凄い高度感と圧倒的な傾斜がさらに選手の凄さ感じさせます。
「凄いですね葛西さん、岡部さん。」
そのあと近所を適当にぶらついたあと、温泉に浸かって、宿にチェックインです。
ほぼ全家族犬連れ専用に近いペンションです。
美味しい食事を頂いて、ばたんキューでした。
大型二輪免許を取りました。
いわゆるリターンライダーですな。
そして本日お盆休みを利用して免許の発行となりました。しばらくはレンタルバイクを利用して、高級外車などを試してみたいと思います。
まだまだ暑いので、しばらくはツーリングに適した気候とは言い難いですね。
少し涼しくなるまで次に乗るバイクの調査を使用と思います。
休日に遊びに連れてってもらえなかったサニー君はエアコンの効いた家の中でアピールが絶えません。
退屈アピールも怠りません。
明日からはサニー君を連れて小旅行に行く予定です。
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ツェルマット訪問記 2019年6月
先日、仕事でスイスに行った時に週末の休日にツェルマットへ訪問し、マッターホルンを観に行った記録を少し備忘録として。
Vispからは沢沿いに高度を稼いでいく電車に乗り換えます。この駅からツェルマットまではまだ、1時間10分程度かかります。
乗り換えた直後は電車はガラガラでしたが、イタリア側の電車から乗換えの人たちであっという間に満席になりました。
さすが世界的な観光地です。スキーの時期なら大変な混雑が予想されますね。
ちなみに、モントルーからツェルマットまでの列車の料金はセカンドクラスで37スイスフランでした。
滞在したホテルChesa Valedeはアットホームで良いホテルでした。夜はホテルのバーでバイトのお姉さんとスイスの賃金事情について語らいましたよ。
グレッチャーパラダイス。要はマッターホルン懐にある広大なスキー場ですな。普段日本でも見るスキー場のゴンドラの豪華版ってとこです。
しかし! その広大な広さと景観は世界に名だたるアルプスの国です。
まさに抜かれましたよ。「度胆を」
シートヒーター付き巨大ゴンドラの駅。
ゴンドラ本体。まるで高級欧州車のような内装。
頂上付近。下界ではどんより雲でしたが、なんとか一瞬だけ晴れ間が現れました。
実は、到着後しばらく真っ白の眺望ゼロで、みんな諦めて早々ともどってしまっていたのですが、山屋としての皮膚感覚を働かせて、遠くに見える雲の切れ間が展望台付近に来ることを予想(希望?)して粘ってたのでした。
予想通り一瞬だけマッターホルン全景を拝むことができました。感動です。
翌日は晴れる事が分かっていたので、湖に現れる「逆さマッターホルン」を観にゴルナーグラート鉄道に乗って。山頂駅まで向かいます。早朝のツェルマットの街からのマッターホルンがまた綺麗ですね。
この電車、進行方向右側の席は常にマッターホルンが見えていますのでずっと景色を楽しめます。近くの丘陵と遠くの岩山のコントラストが素晴らしあるですね。長谷川恒男に思いを馳せながら電車に揺られます。
氷河のスケール半端ない。
そして最後は逆さマッターホルンを拝んだ後、電車に乗って来た道をそのまま帰りました。ガイドに頼むと日帰りでマッターホルンの頂上へ行けるツアーもあるとか。
もちろん冬山登山の経験が必要ですけどね。
ほかのスイスのマイナーな街に比べて非常に日本人が多かったですが、この山の各ルートのサミッターにも日本人が多いのは、この雄々しい独立峰が我々の琴線のどこかに触れるのでしょうね。
また一つ経験値が増えた気がします。